ディレクター(以降D):『旅する獅子たちの実像』今回の企画では昨年12月23日に山本家の名跡を継ぎ新たな太夫を襲名された山本春太夫さんにお話しを聞いてみたいと思います。春太夫さんは一般社団法人伊勢大神楽講社では創業時から理事職を務められ、社中の方では、加藤菊太夫の支援に回ることが多くなった勘太夫さんに代わり実質、山本勘太夫社中を率いておられます。また、山本春太夫組として関西圏の新たな公演活動を開拓したり、総舞みやげの企画・デザインなど、かなりお忙しくされております。本日はどうぞ、宜しくお願い致します。
春太夫:口下手なのでお手柔らかに宜しくお願い致します。
△左が山本春太夫。先代勘太夫の門弟。「近代大神楽史において太夫家以外の志願入門者が伊勢大神楽における職位の最高位‟太鼓打”(八舞八曲十六演目全てを修得した者)に僅か入門7年で辿り着き、長らく活躍を続けた事で伊勢大神楽講社の発展に大きく貢献した実績は太夫襲名に相応しい」との理由で先代勘太夫より襲名の推薦を受ける。
D:いろいろとお話を伺ってみたいと思うのですが、まず、春太夫さんご自身ならではの活動もすごく目立った一年だったんじゃないでしょうか?
春太夫:そうですね。法人化してからは個人の活動も推奨されているので、関西を中心に僕自身のパイプを活かして色々な所へ顔を出したり。公演依頼だけではなく他の企画の提案などもいろいろとやっています。総舞みやげも結構、各地で喜んでもらえて。企画して良かったです。
D:総舞みやげは、伊勢大神楽の総舞や公演終了後の風物詩になりそうですよね。昔はどんな祭りにも露店がくるのが当たり前で。狭い机に並んだ品物に見物人がワラワラと集まってくるあの感じが懐かしさを感じさせます。
春太夫:デザインも毎年新しいものを構想していますが、割と家に馴染むような可愛いらしいものが多いんですよ。
D:凄くいいと思います。さて、ここから本題の方にも入っていきたいと思います。山本勘太夫社中が一般社団法人 伊勢大神楽講社を興されて2年半が経ちました。さらに新たに大神楽師免許制度が始まってこちらも1年の節目になります。これまでの歩みを振り返ってみて、環境の変化だったり何かご感想があれば伺ってみたいと思います。
春太夫:そうですね、早かったです。特に法人組織になってからは、かなり忙しくはなりました。勘太夫社中自体がそもそも伊勢大神楽の世界では抜きんでて多忙なイメージはあったとは思いますが、伊勢大神楽講社の本部組織になってしまいましたんで一層と。
D:NHKさんが勘太夫社中に密着取材に来られて、番組タイトルに「疾走!神楽男子」と名付けた由来は、一年中付いて回ったら、とにかく全力疾走で大変忙しい若者たちだと。そんなエピソードもありました。
春太夫:法人設立も親方(勘太夫)は結構前から構想にあったようで、3年近くは旅先で熱心に勉強したりしていましたね。今にして思うと親方が考えていた法人と実際にできた法人は規模がかなり違っているんですよね。
D:私も、実は構想初期の頃に相談されたりもしましたが、結果として、社会的役割を含め大きな法人になったなと感じました。
春太夫:親方は宗教法人の方でも役員として全体の舵取りをずっとやっていたので、地元の桑名市さんだったり外部から大きな役割を期待された面もあるのかなと察します。とくに加藤菊太夫再興の仲介を役員として支援する立場だったはずなので、彼らがこちらに合流する道筋ができ、新法人の方が重要文化財の指定保護団体になったりして、どんどん多忙になって今に至る。そんな感じです。
D:激動ですね。ちなみにYouTubeでは近日公開の最新の『旅する獅子』のシリーズで大神楽師免許制度も取り上げています。この制度が始まった事が法人の最も新しい動きでしょうか。
春太夫:いや、大神楽師免許制度は法人設立を考え始めた最初からセットで構想としてはありました。法人設立のそもそもの目的は後進の育成ですので、ずっと以前から。親方は新法人は教育団体にしたいって、名前も考えて皆に発表したりしていましたね。
D:ちなみに、勘太夫社中が伊勢大神楽講社の本部化しなかった場合の幻の法人名はどんなお名前でしょう。
春太夫:伊勢國大神楽師協会とか言うてはりましたね。硬派がにじみ出てます(笑)。
D:その辺りのセンスは絶対に春太夫さんに任せた方が上手くいくと客観的にみていても思います(笑)。冗談はさておき、実際には加藤菊太夫社中さんの再興や本部組織としての運用が最優先の課題となって、当初の育成団体としての構想実現が後から形として世に出てきたということですね?
春太夫:そんな感じです。
D:春太夫さん個人の襲名後の変化・社中の他の皆さんの反応などは如何ですか?
春太夫:僕自身も神楽師としてそれなりに長い間従事してきましたが、以前は“山本家の先祖代々の家業”という意識が強くて、無意識に遠慮するところがありましたからね。
D:当時は勘太夫さんのところも自営業でした。法的にも事業者が強いので親方に遠慮が働くのは当然なのかもしれません。
春太夫:でも先代の勘太夫親方から聞いた昔話では、戦前なんかは特に養子をもらっているケースが多くて。〇〇家と言っても実際の血縁としての繋がりというよりは、どちらかと言うと法人的な繋がりに近いように感じて、自分の持っていた世襲に対してのイメージへの疑問も出てきたところだったんです。
D:勘太夫さんも大神楽師免許制度は、養子縁組を神事化して職位制度に落とし込んだものだと説明してくれました。説明を詳しく聞いてもピンときていませんでしたが、その昔話を聞くとなるほどと思います。
春太夫:だから大神楽師免許制度は新しい制度じゃないですよね?むしろ日本人にはお馴染みの仕組みの対象を個人の家から法人に移しただけなので。それに今は仕事の上では皆山本姓なので、免許制度のおかげで社中の一員としての自覚はそれぞれ強くなったんじゃないかなと思います。お互いの呼称が変わったり、法人化して待遇が変わったりで、色んな変化に皆戸惑いもありましたが、いまは変化し続けること自体に皆が、馴染んでる印象です。
D:重要文化財の指定団体で、こんなにフットワークが軽くいろいろ形にしていくだけでも大変なことだと思います。さて、もう少し質問をさせて下さい。春太夫さんご自身が太夫を襲名された事がなによりの大きな変化だと思うんです。発祥地の三重県桑名市太夫に縁を持たない新たな太夫が誕生するなんて、これまでの数百年では考えられないような事だった訳ですよね?
春太夫:そうなんですよね…。一年近く経っても、僕自身はあまり実感が湧いていませんが。
D:とはいえ、これまでの実績と実力は評価されてしまっています。春太夫さん自身は先代勘太夫の弟子として志願入門からの叩き上げで経験を積んで太夫にまで上り詰めた訳ですよね。
春太夫:どうなんですかね。同期の親方とかは柔道出身で明らかに馬力がある意志の強そうな若手でしたけど。僕は、ただただミーハーなだけで興味本位でやっていたら太夫になってしまった感じです。
D:なんとも掴みどころがありませんが、そんな実績と経験が十分な春太夫さんからみて、近年の若手や入門を志す新弟子たちは、どう見えていますか?
春太夫:一概には言えませんが、若い人たち皆がどこかうっすらと満たされてしまってるというか、飢えてない。最近少しだけ入門してあっさり諦めてしまった子なんかも、好奇心が殆ど感じられなかったんですよね。道を諦める…の前に僅かでも執着できない時点でそもそも道を志せてもいないし、それに当人が気がつけていないのではと感じます。
D:私にも世代的に理解できる気がします。勘太夫さんへのインタビューでも、同じような事は話していました。「就職」が目標になってしまっている人が専門職にきても意味はないみたいなお話でした。
春太夫:皆、若いんやからもっと我武者羅なところがあって欲しいなぁと思いますね。それを私が引き出す手助けが出来るのかはわからないですが。もしかしたら今の若者たちの精神性が社会的にそうなってしまってるなら可哀想にも思ってしまいますけど。あ!逆に言うと、そこそこ年齢を重ねていても、気持ちや好奇心があれば何とかなるとは思います。
D:もしかしたらこれから大神楽師という生き方に関心を持って、入門を希望される方がこの記事を読んでいる可能性もあるかもしれません。春太夫さんから何かメッセージとかはありませんか?
春太夫:そうですね。普段からよく言っていますが僕自体は基本ミーハーなだけです。少なくともファンの延長的な僕くらいは軽く超えて貰いたいという思いの方が強いです。だから自分が誰かの手本になりたいと言うより、誰かが本物の大神楽師になっていく姿を間近で見たいという方がしっくりきますねぇ。そのために力を貸して欲しいと言われれば、こちらは一切隠すことはしないので、どうぞ好きなだけ技を盗んでいって下さいという感じです。僕らだって先輩を観察して盗んできたものばかりですから。人さまからもらった以上は次の世代に返すつもりです。
D:いつでも門は開いているという事ですね。興味がある事・関心がある事・好きな事に対して我武者羅で向き合う事、そういった姿勢であれば、プロの大神楽師にもなれるという事でまとめても良いでしょうか?
春太夫:僕の話だけだと、まとまってないかもしれませんが、要は好奇心があれば殆どの事はなんとかなる思います。
D:では、職業としての伊勢大神楽のお話が出ましたので、その流れでもう一つ。今、日本ではずっと少子高齢化が進んでいますよね?それに足並みを揃えるように何事も自動化・無人化・機械化が進んでいて日々の暮らしは便利になって来ているのだと思います。また、その反動で、今の時代では必ずしも人が必要でない職業も増えています。
春太夫:そうですよね。時代の潮流なんだとは思いますが、コロナ以降は一層加速しましたよね。仰るように技術の発展で日常生活をする上では便利にはなった面もありますけど、それと引き換えに失ったものも多いのかなと。合理性だけで考え出すと、人間が一番無駄やんっ!てなりかねないような。そんな危機感はありますよね。その結果が少子化なんじゃないかなと思ってます。
D:人が必ずしも要らないという社会になっていくと、昭和の永年就労・年功序列に代表されるような一生涯を掛けて一つの仕事へ従事して会社と共に年を重ねてくような生き方・働き方というのは、むしろ稀少になってきます。大神楽師の場合はロボットにとって代わられる事はさすがに、まだないと思うんですが。少子高齢化時代の伊勢大神楽は今後どうなっていくのでしょう。何か想いのようなものはありますか?
春太夫:これからも大変ですが、これまでも明治維新だったり先の世界大戦であったり色んな激動の時代を乗り越えてきましたからね、先輩方は。元旦から12月までほぼ1年を少なくとも450年間ですか。ほんとに凄いことだと思います、それだけ長い年月を掛けて培ってきたからには、やっぱり伊勢大神楽という文化から学ぶ事は多いですし、現代の僕らが忘れてきたものに対して大神楽を通じて考えさせられる場面は多いんですよ。
D:なるほど。
春太夫:先人達が試行錯誤して今があるのはもちろんですが、そこには必ず相手がいるわけですよね。何でもそうかもしれませんが受け手があって初めて成立するものだと思います。これは、国の重要文化財やから残さなあかんとか長い歴史がある古来伝統だから残そうとか大それた理由じゃ無くて。ただ単純に、時代時代で大神楽を待っている人が常にいる。だから、年に一度の約束を守らなあかんという凄くシンプルな使命感で結果残ってきたんだろうと実感してます。そして、約束を守ってきたからこそ今も大事にされてるんじゃないかと思います。この不安定なご時世だからこそ、毎年変わらずやってくる大神楽に懐かしさや安心を感じてもらえるんじゃないでしょうか。
D:最後のご意見は、さすがは太夫という熱量でした。本当に仰る通りだと思います。どんどん地方の人口も少なくなり、人と出逢えることは必ずしも当たり前ではなくなってきています。その思いこそ、春太夫さんから後進たちへ伝承していって欲しいと願います。本日はありがとうございました。
春太夫:ありがとうございました。今後とも精進いたします。