2018年10月27日(土)青森県むつ市『大畑八幡宮』にて実施された“ミナカダ祭”にて総舞を奉納致しました。
本年、大畑八幡宮例大祭における御神輿・神楽・山車による渡御の行列が享保三年に開始され300年の節目を迎えました。平成の時代より温故知新を社訓の一つとして掲げる山本勘太夫社中も、祭のテーマである『源流を辿ると同時に未来へ向かうべく開催する祭』に共感し、ミナカダ祭への参加が実現しました。
△大畑の“源流”の象徴には伊勢大神楽、“未来”の象徴には当地のこども達が、自らの手で山車・神輿を作り出す「童子祭計画」がミナカダ祭の目玉となっており、当日は大畑のこども達が制作した神輿や山車が実際に展示・参加しました。
当地に伝承される下北神楽の源流は伊勢大神楽にあると今日まで伝承されてきました。この度の招聘により史上初となる青森県下での伊勢大神楽来訪が実現し、当日は早朝より半日を掛け9地区を回檀。午後4時半より総舞の奉納となりました。
△鈴の舞
総舞に先立ち、まずは大畑八幡宮の御祭神に向け、当地の安寧を祈る鈴の舞を奉納します。
△劔の舞
△四方の舞
△扇の舞
舞や囃子の構成から、下北神楽との共通項も多いと推察される扇の舞です。
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△綾採の曲
総舞、最初の放下芸奉納は、家元の山本勘太夫、放下師の指吸長春が務めます。
ミナカダ祭に先立ち実施された9地区の回檀の際には初めて見る放下芸に「真剣に見た方が良いのか、声を出したり手を叩いたり笑って見て良いものなのか」という大畑の皆様の戸惑いの反応もありましたが、総舞では皆が声を出して笑い、境内が一体感に包まれました。
△水の曲(長水)
この度の下北半島遠征に際し特別招聘した、宗家 山本源太夫社中の大神楽師 寺尾寛が皿の曲を務めました。
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△水の曲(皿・鯛釣り)
総舞の途中より降り出した雨が激しさを増しますが、大畑の皆様の神楽に対する眼差しに変化はありません。
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△神来舞“北勢 山本源太夫流”
ミナカダ祭のテーマである“源流を辿り未来へ向かう”に基づき、伊勢大神楽近代史の象徴である 宗家山本源太夫社中より大神楽師を一名招聘し、山本源太夫流神来舞を奉納致しました。源太夫流神来舞は1950年代に入り、日本の近代化に合わせ大胆な舞手の変革を行っており、正に未来へ向かう大畑の象徴として奉納させて頂きました。
△献燈の曲
伊勢大神樂における放下芸の華“献燈の曲”です。最も雨風が強く困難な環境でしたが、大役を任された社中最年少の放下師 松下雄陽が無事に演目を務め上げました。
△神来舞“南勢 伊藤森蔵流”
大畑をはじめ下北半島に伝承される下北神楽の源流は、伊勢国桑名は阿倉川村(現在は四日市市)を発祥とする南勢流の伊勢大神楽にあると推察されます。阿倉川の伊勢大神楽は長い歴史の中で、北勢流の本拠である桑名は太夫村に合流した社中と、江戸に渡り関東・東北へと東に活路を求めて移住していった社中があります。かつて盛岡藩の許可書を手に当地を回檀したと言われる伊勢大神楽の南勢流 神来舞奉納には、参集の皆様方より大きな拍手が巻き起こりました。
△劔三番叟
△魁曲
総舞最後の演目は魁曲です。魁曲の成立は江戸の中後期と推察されており、下北神楽に伝承された当時には演じられていなかった演目です。演目の最後には、大畑の町に別れを告げる伊勢音頭が唱和されます。
終了後は餅まきが実施されました。滅多と経験できぬ餅まきに社中の大神楽師たちも皆笑顔です。
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伊勢大神楽の総舞終了後もミナカダ祭は続きます。社中の大神楽師達も神札や総舞記念品の授与や頭噛みの御祓いなど、終了後も大畑の皆様と交流を楽しみました。
ミナカダ祭の最後は大畑八幡宮例大祭囃子である“乱囃子”で締めくくられました。
この度、ミナカダ祭への伊勢大神楽招聘にご尽力下さりました大畑八幡宮・十五會を始めとする関係者の皆様方、そして数百年の時を経て尚、改めて伊勢大神楽という文化を受け入れて下さった大畑の皆様方、本当にありがとう御座いました。山本勘太夫社中はふたたび日常の旅へ戻りますが、今後も下北半島・大畑八幡宮、そして大畑の町を見守り続ける事をお約束致します。総舞開始前のご挨拶でも申し上げましたが、ミナカダ祭の総舞では当社中の流派である“正調 山本勘太夫流 神来舞”を奉納致しませんでした。いつの日にか、ふたたび大畑の町へ帰り、大畑八幡宮の御祭神に奉納させて頂く日を夢見て、我々も信仰の旅を続けたいと思います。本当にお世話になりました。
家元 山本勘太夫