12月24日、本年も伊勢大神楽の本拠地である三重県桑名市太夫 増田神社にて、伊勢大神楽講社全5社中による総舞が奉納されました。
△増田神社では、例年12月23日に例大祭“神講”を執り行い、24日に総舞奉納を行っています。24日の総舞は大神楽師達にとって一年で最後の神楽奉納であり、新年の回檀へ出向く準備を整えて執り行う“新年最初の神楽奉納”でもあります。翌25日には新たに漆を塗り直した獅子頭を増田神社へ持ち寄り、新たな御魂を吹き込む“御魂入れ神事”を行います。
※23日~25日の祭事の模様
 ̄
本年は新たな時代である令和最初の奉納という事もあり、様々な試みが企画されました。かつて行われていた増田神社祈祷大麻の授与が12月24日限定で復刻し、これまで勘太夫社中の総舞に限りお求め可能であった総舞みやげが伊勢大神楽講社公式の授与品となり、ご参集の皆様方に大変ご好評をいただきました。
△山本源太夫社中 家元 山本秀平・番頭 斎藤晋
総舞の開始前には、夏季総会にて選任された伊勢大神楽講社の新執行部を代表し宗家山本源太夫社中の役員がご挨拶を致しました。
総舞開始前には増田神社の御祭神である増田大明神に一年の旅の終わりを報告すると共に新たに迎える年の豊年を祈念した鈴の舞を奉納します。
 ̄
 ̄
△鈴の舞・四方の舞・跳びの舞(石川源太夫社中/山本源太夫社中)
四方の舞と跳びの舞は12年連続で石川源太夫社中が担いました。石川源太夫社中は和歌山県や三重県など近隣での活動が大半を占めます。
△扇の舞(山本勘太夫社中)
扇の舞の奉納は昨年まで4年連続で務めた山城修社中に代わり、勘太夫社中が務めました。
本年は昨年に続き森本忠太夫社中が綾採の曲を務めました。忠太夫社中には地元桑名出身にして最年少となる18歳の大神楽師が近年複数名入門しており、次代の伊勢大神楽講社を背負う若手として期待されています。
 ̄
△綾採の曲(森本忠太夫社中/山本源太夫社中)
総舞最初の放下芸である綾採の曲です。新時代を担う若手に続き、平成の大神楽を20年以上に渡り支えてきた宗家山本源太夫社中の大神楽師が登場します。平成は3社中が廃業し2社中が認可されるなど伊勢大神楽講社にとって激動の時代となりました。
 ̄
 ̄
△水の曲(山本源太夫社中/石川源太夫社中/森本忠太夫社中)
昭和初期頃までの増田神社総舞には、若手神楽師の評価を行ういわゆるドラフト会議の様な役割もあり、各社中の若手大神楽師達が一年の修練の成果を増田大明神に披露する様を各社中の大御所達が審査し、実力に応じて社中の配置転換や職位の調整が行われていたと言います。
△水の曲“皿の曲”(山本勘太夫社中)
水の曲の中でも人気の高い放下芸“皿の曲”です。当社中の指吸長春・石崎雄一朗が登場致しました。増田神社初奉納の大技に場が大変沸きました。
△吉野舞(加藤菊太夫社中/山本源太夫社中)
壬申の乱の古事に因んだ吉野舞です。舞型は最も素朴でありながら、舞手の技量・熟練度が反映される古式の神事舞です。各町にいる昔ながらの大神楽通の村人たちが最も楽しみに待つ演目の一つです。
△手毬の曲(山本勘太夫社中)
当社中の家元 山本勘太夫が演目を務めました。平成20年に復活するまで25年以上に渡り修得者が現れなかった演目であり、現在も勘太夫社中以外での奉納は行われていません。
△献燈の曲(山本勘太夫社中)
総舞の華である献燈の曲は昨年に続き当社中の松下雄陽が務めました。一年の修練の成果を増田大明神にご報告致しました。
△神来舞(森本忠太夫社中)
△毬獅子の曲(山本源太夫社中/山本勘太夫社中)
山本源太夫社中のベテラン放下師が翁役を担いました。日頃配役される事のない珍しい演者の登場に増田神社が大いに沸きました。
△剣三番叟(山本源太夫社中)
日本古来の祝賀舞である三番叟と放下芸が融合した劔三番叟です。古式の萬斎(まんざい)に定評のある山本源太夫社中が担いました。演目の大半を掛け合い萬斎が占めるなど、他社中にはない演目構成で大いに盛り上がりました。
△魁曲(山本勘太夫社中2頭《指吸・石崎/勘太夫・松下》山本源太夫社中/森本忠太夫社中)
昨年に続き4組による花魁道中です。(※3組目 山本源太夫社中は先抜け)2年ぶりに勘太夫社中より2頭が選出され、得意とする11張による一本立ちを奉納するなど、見せ場の多い魁曲となりました。
本年も寒空の下での奉納となりましたが、平日にも関わらず非常に多くの皆様にご参集頂く事ができました。お集まり頂いた皆様方が素晴らしき新年をお迎え下さる事を、迎えた新時代が良きものとなりますよう伊勢大神楽講社 講社員一同、桑名の地よりお祈り申し上げます。
伊勢大神楽講社 責任役員 山本勘太夫