守山市指定文化財史跡である大庄屋諏訪家屋敷(赤野井町)での総舞奉納です。 令和元年より勘太夫社中の年中行事にも指定されており毎年必ず3月最終日曜日に奉納されています。
守山と伊勢大神楽のつながりは古く江戸時代には当地へ加藤孫太夫(昭和中期に廃業)が訪れていました。 現在は山本勘太夫社中に受け持ちが引き継がれ半世紀以上が経ちますが、この半世紀でもっとも起きた大きな変化の一つが『加藤孫太夫時代に全域で途絶えていた各町での総舞復活』です。戦後しばらくは総舞は行われていたものの徐々に社中の高齢化が進み長らく奉納が行われていなかった時代がありましたが、現在は8割以上の町でかつてのような総舞奉納の文化が復活しており、赤野井町での総舞も地元に根付いた文化行事の復刻という形で令和元年より再興されています。
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△劔の舞・扇の舞(舞い手:山本勘太夫/猿田彦:山本笙 )
昨年度より大神楽師の認可を受けた若手大神楽師の山本笙が猿田彦を務めます。 かつて大神楽の新弟子は10代のうちに入門し体の柔らかい子供のうちに猿田彦役を通じて舞の基礎を学んだと伝わります。 昔は旅をしながら読み書きを教わり、中には小学6年生で放下芸を複数修得した者もいたとか!?
△綾採りの曲(放下師:山本八太/道化師:山本勘大夫)
△水の曲”半水”(放下師:山本真之介/道化師:山本勘大夫)
社中最年少、一昨年より東京大学大学院在籍中に社中7年ぶりとなる学生入門を果たした山本真之介が、本年は放下師として守山に戻ってきました。
東京大学卒という肩書きは大きく、一月より守山でも行く先々で「学生入門のお兄さん、これからも頑張って!」と声を掛けられていました。気が付けば3年目。何卒、御引立てを宜しくお願い致します。
△水の曲”皿の曲”(放下師:山本八太/道化師:山本勘大夫)
山本八太の水の曲です。若手の成長著しい勘太夫社中において中堅として主たる放下芸をこれまで任されてきました。代々小柄な大神楽師たちが放下芸を伝承してきた勘太夫社中において唯一と言える大型の放下師です。
△献燈の曲(放下師:山本春太夫/道化師:山本勘大夫)
山本春太夫の献燈の曲です。勘太夫同様、既に後進育成や広報活動など裏方へ回る事が多く、大神楽師としての主たる役割は後進に譲りつつありますが、業界一と一目置かれた放下師としての技術はまだまだ錆びついておりません。
△神来舞”山本勘大夫流 四段”(舞手:山本笙・山本真之介)
勘大夫社中期待の若手大神楽師二名による神来舞です。「見込みある同世代の新弟子が二名揃った時、古式の流派を復活させ伝承させる」として先々代・先代と長らく奥義として公開される事のなかった複雑な古式の踏み足・舞型が結集され平成時代に復元された舞が、この山本勘太夫流神来舞です。かつての奥義も公開され早17年が経ちます。次代を担う若者たちに、大切に磨いていって欲しいものです。
劔三番叟(道化師:山本勘大夫)
かつての伊勢大神楽では熟練の放下師が道化師を務める事が通例となっていました。平成時代より分業化が進み放下師の道へ進まない者による専従化へと姿を変え現代にいたります。
さて、勘太夫社中の道化が腕試し。結果は如何に?
魁曲(上乗:山本春太夫・台師:山本八太/上乗:山本大貴・台師:山本勘太夫)
最後は二頭立ての魁曲を奉納して総舞も無事終了。
一月末より守山市内の巡行が行われ、連日各町で総舞が奉納されてきました。三月の末、この諏訪家屋敷総舞では守山での活動の総決算として、旅での修行の成果を披露するよう努めています。初めて伊勢大神楽の総舞に触れる若い方には新しく・楽しい文化として純粋に楽しんで頂く。伊勢大神楽に馴染んだ地域の皆様には「去年とは一味違うな」と僅かな変化や成長の積み重ねを楽しみにして頂ける、そんな総舞に今後なっていけば良いなと社中一同も願っております。
お越し頂きました地域の皆様、ご尽力頂きました関係者の皆様方、ありがとうございました。