本名は指吸長春。かつて旧伊藤森蔵社中の回檀先であった大阪府阪南市にて生まれる。幼少期より地元の祭りや伊勢大神楽の笛・太鼓を聴き、日本文化に親しみを持って育つ。やがて成長と共に興味は芸術へと移り、高校大学では美術を専攻、現代美術などを学ぶ。その中で日本の文化・芸能が各時代の様々な信仰を元に発展してきた事を知り、日本の伝統芸能に強い関心を抱くようになる。
卒業後、一時故郷である阪南市へ戻った際、十数年ぶりに伊勢大神楽の回檀に出会う。改めて出会った伊勢大神楽の獅子舞や放下芸・囃子に感銘を受けた事で入門を決意し、伊勢大神楽講社長 山本源太夫を訪ね、勘太夫社中への入門を志願する。
入門後は舞や囃子・放下芸の稽古は勿論、芸能の歴史や地域の慣習など大神楽に関する、ありとあらゆる物事に関心を抱くようになり、入門10年を待たずして八舞八曲全を修め、伊勢大神楽における職位の最高峰“太鼓打ち”として長らく活躍している。
また令和5年、自身にとって大きな転機を迎えた。
平成時代の入門より山本勘太夫社中の躍進に大きな貢献を果たし、職位の最高位“太鼓打ち”を長らく務めたことで、自身の入門時の家元 先代山本勘太夫より太夫を拝命するに至った。
襲名した太夫名は山本春太夫(やまもとはるだゆう)
法人では本部役員の立場であり、一大神楽師としても大舞台での経験も豊富であるが、「入門16年を数える現在でも、大神楽のファンである。同時に職人でもあり、研究者である、年数と共に立場は責任あるものとなっていくが、いつまでも初心の通り。そんな大神楽師でありたい」と話す。大神楽の近代史において、家元の血縁以外から太夫を襲名した者は春太夫の他にはいない。
法人の役員として太夫として益々の飛躍が期待される。
大神楽師(太夫/放下師//法人理事) 山本 春太夫 (本名:指吸長春) 1981年生まれ
Harudayu Yamamoto